韓国ブラインドテニス大会 事業報告書

2012年6月28日(木)~6月30日(土)

日本ブラインドテニス連盟(Japan Blind Tennis Federation)
韓国ブラインドテニス連盟(Korea Blind Tennis Federation)
徐州市特殊教育中心(Xuzhou Special Education Center)
協力(ご寄付)  生島様

  1. 今大会参加決定までの流れ 2007年1月に7名の訪英でブラインドテニス(当時の名称:シカクハンディキャップテニス)の海外普及が始まった。
    2007年9月の韓国普及は、木浦(モッボ)とソウルの2箇所の盲学校で行った。

    アジアは、ベテランのテニスプレーヤーたちの尽力により、普及が進んでいる。ベテランのプレーヤーたちは、アジア都市対抗の試合を通して友人になり、彼らの友情がアジア普及の大きな力となっている。
    韓国では、2007年12月と2008年6月にソウルのハンビ盲学校で試合が行われ、6月の試合には、他の盲学校から校長を招き、紹介を行った。2つの試合には、日本からもプレーヤーが参加し、交流を進めた。

    9月には、釜山の盲学校での普及が行われた。
    4月には、韓国ブラインドテニス連盟(以下韓国連盟)が設立され、国内の盲学校にブラインドテニスが紹介された。

    2008年6月25日には、日本テニス協会ベテラン委員長の土屋善ニ氏のご尽力により、名古屋で行われたアジアベテラン都市対抗の中でデモを実施した。そして、日本の中村靖之介氏(故人)、韓国の金教成氏(故人)、台湾の頼春林氏が連絡を取り合い、2008年9月の台湾デモ実現に結びついた。台北と台中の盲学校で交流が行われているとのことである。
    中国へは過去3回、2009年に青木陽子さんの協力による天津、2010年の韓国連盟の協力による上海、2011年に日本ブラインドテニス連盟・韓国ブラインドテニス連盟の共催による徐州で普及会が開催された。

    2010年4月にはイギリスからTennis Foundation, Metro Blind Sportの5名が来日し各地で全盲への指導方法講習会、交流会、意見交換会などの行事が持たれ、その後イギリスでは弱視プレーヤーがコーチ資格を取得し全盲への講習会が開催されている。 その他、ボールが送られたアメリカ、オーストラリアでも普及が進みつつあり、2011年9月にはロシアへの普及も行った。

    2012年3月31日、韓国、アジアへのブラインドテニス普及に情熱を傾けてくださった金教成韓国ブラインドテニス連盟副会長が逝去された、との悲しい知らせが齎された。 金教成氏は、韓国全土にブラインドテニスを普及させるために多大な尽力をくださった方、韓国ブラインドテニスの父と言っても過言ではない方である。

    そのように偉大な金教成氏の訃報を知らせるメールの中に、今回の韓国ブラインドテニス大会の日程、中国から選手団が来ること、日本からの選手団派遣を望む、とのメッセージが添えられていた。 今大会に何らかの形で参加することで、金教成氏の偉大な功績に感謝を表することができるのでは!、日本・韓国・中国が集まる大会開催は金教成氏の夢でもあり、そのような意味においても、どうにかして今回の要請に答えるべき!と考えた。

    資金の厳しい現状の中、また、日本ブラインドテニス連盟会員も個々に仕事等で多忙であると言う状況の中、昨年から連盟活動へのご理解を頂戴する意味を込めて販売しているピンバッジの売り上げを今大会への参加資金とさせていただき、連盟会長の桂田、連盟事務局次長の荒木、連盟理事(近畿会長)の岩下、近畿副会長の角本で、韓国に赴くことを決定した。

  2. 韓国ブラインドテニス大会報告 今回の韓国ブラインドテニス大会(以下大会と記載)への参加を決めた経緯は、上述の通りである。 大会は、6月28日の午後に予選会、6月29日に本戦(全盲クラス、弱視クラス、ダブルス、各準決勝と決勝戦)が行われると言う日程だったが、日本選手団(以下選手団と記載)は日程の都合で28日の予選会からの参加はできなかった。

    選手団は、6月28日18時40分関空発仁川行きのピーチ(格安航空)で、韓国へと出発した。 20時40分に仁川に到着した選手団は、キムロウウン理事、ソドンハン氏の出迎え、案内で、全州行きのリムジンバスに乗車、翌29日1時に、ウソク大学の宿舎に到着した。 2名ずつ宿泊できる、バス・トイレ付きの部屋に、以後2日お世話になったが「宿泊は、ウソク大学の寮です」と、出国前に伝えられた時は、どんな所なんだろう?と少しの不安があったが、韓国ブラインドテニス連盟の方々のお心遣いで、とても快適な環境で過ごさせていただけた。

    29日、7時に起床した選手団は、7時半に宿舎を出発、ウソク大学の食堂で朝食を頂いた。 朝食を食べている選手団に、通訳の方を通して「中国選手団の方が、去年、桂田さんたちにテニスを教えてもらいました、と言っておられますよ」との、感動的な情報を伝えられた。
    (昨年5月に、金教成氏と共に赴いた徐州市特殊教育中心の方々が、ブラインドテニスを続けてくださり、今日ここに来られている!)そう思うだけで、胸が熱くなった。

    食事を終えた選手団は、ウソク大学の体育館に入場、開会式の時を待った。開会式は、全北盲学校の方々による華やかな大吹打公演(韓国の曲の吹奏楽演奏)で始まった。 選手団から、日本連盟会長として、桂田が、式典の壇上に上げて頂けた。式典は、入場式、国民儀礼と続き、ラゾンイル韓国連盟会長の挨拶、ウソク大学総長、セヌリ党障害者委員会主席委員長が、会場で祝辞を述べ、韓中日協力事務総長、盲学校校長、全国大学障害者支援協会、中国教育部所長、が参列される、と言う大々的なものだった。

    その開会式中で、桂田が、金教成韓国連盟副会長への弔意を述べる時間を頂いた。
    以下、桂田の弔意の概略。
    「金教成副会長と5年前に韓国で初めて出会った日は、ブラインドテニスにとって記念すべき日でした。
    なぜなら、金教成副会長が、韓国全土にブラインドテニスを普及くださるスタートの日だったからです。
    皆様ご存知の通り、金教成副会長がおられなければ、韓国でのブラインドテニスの普及は成し得ないことでした。
    金教成副会長様がお亡くなりになられたことを聞き、日本ブラインドテニス連盟会員は、悲しみに暮れています。金教成副会長と共にアジア各国にブラインドテニス普及活動に赴いた、日本のブラインドテニスコーチの秋田氏も、貴方に感謝し、貴方を喪ったことを深く悲しんでおられます。

    金教成副会長は、私たち日本ブラインドテニス連盟会員に対して、家族のように暖かく接してくださいました。
    金教成副会長様、私たちは貴方の偉大な功績を忘れません!金教成副会長様、貴方が夢に描いておられた韓国・中国・日本の選手が集う大会が、今日開催されています!どうか、この素晴らしい大会を、天国からご覧ください!金教成副会長様、ありがとうございました!ありがとうございました!カムサハムニダ!」続いて、感謝牌の贈呈、参加チーム(選手)の紹介が行われ、開会式は終えられた。

    開会式後に、退席される金教成副会長の奥様と、お嬢様と、桂田が、面談する時間を頂戴できた。 金教成副会長のご家族と桂田は、ただただ手を握り合い、落涙の内に、互いに感謝の言葉を交わした。
    午前中は、全盲クラス、弱視クラス、ダブルス等の、準決勝戦が行われ、選手団は、韓国、中国の選手のプレイを見守った。 昼食(全州名物のピビンパ)を頂いて、午後は、日本選手団の模範試合が行われた。

    まず初めに、岩下、角本のB1プレイヤーのゲームをご覧いただいた。
    韓国、中国の選手団からは、惜しみない拍手が送られた。
    次に、B2の荒木と、韓国の若い女子プレイヤーとの接戦が行われた。
    時間の都合で、2ゲーム先取でのゲームとなったが、(もっともっと見ていたい!)と思わせるような、白熱した、それでいて全身で楽しんでいるプレイが感じられるような一時だった。

    次に、日本選手団のB1プレイヤーと、韓国・中国のプレイヤーとの対戦を1試合行う予定であったが、大会主催者からの依頼で、B1の試合を2試合に増やすこととなった。 短い時間ではあったが、岩下も、角本も、韓国・中国のプレイヤーとのゲームを楽しみ、今後の国際ブラインドテニス大会への機運を感じることができた。

    日本・韓国・中国の交流試合の間に、私たち選手団は、KBS(韓国のテレビ局(日本で言えばNHKのような放送局のようだ))と、テニスコリアからの取材を受けた。 その後は、全盲クラス、弱視クラス、ダブルスの決勝戦が行われた。
    選手団が共通で感じたのは、第一には、韓国・中国へのブラインドテニスの普及の速さへの喜びである。
    全ては、金教成氏の熱意と、それを受けて動いてくださった、盲学校関係者、プレイヤーの方々、それを支えるボランティアの方々の情熱だ、と実感した。
    第二に、日本選手団から、同じプレイヤーの立場で、韓国・中国の選手の方々に、練習方法や、プレイのワンポイントアドバイスをさせていただける時間が取れればなあ!との、 大会当日における時間の無さと、伝えたい!ことの多さから来る、ジレンマである。

    韓国・中国のB1プレイヤーの現状のプレイは、言うなれば10年前頃の、日本のB1プレイヤーのそれと同等であり、日本と、韓国・中国のB1プレイヤーの交流時間が作れれば、ラケットのスイングの方法や、自分の打球が相手コートのどの位置に落ちたか(現在はコーチが、例えば「右に何センチ」のような方法で言葉で指導しているが、日本で行っているようにコートに番号をつけて、「何番にボールが入った」と伝える方が、全盲にはイメージしやすいのでは)等の思いが湧いた。

    今後、益々!韓国・中国と、ブラインドテニスのプレイについて、互いに技術を練磨しあえるような関係を作ることが重要だ!と感じた。 閉会式の前に、日本の全盲、弱視プレイヤーと、韓国のプレイヤーによる、ダブルスでのプレイをする時間も頂けた。

    閉会式では、多くのプレイヤーが表彰されていた。 私たち選手団も、来年は「韓国大会に出場したいな!出場しよう!」との思いを口にしていた。 閉会式の最後に、日本選手団から、韓国・中国の選手団に、お土産(日本の風呂敷)と、荒木氏作成の点字のコート図面(コートナンバー等がハングルで書かれた物)を贈呈し、韓国大会に日本の千憲司様からお預かりした黒ボールを贈呈した。

    閉会式後は、選手団への通訳等をしてくださった韓国の皆様と会食、とても美味しいスンドゥブチゲをご馳走になった。 30日は、あいにくの雨だったが、韓国のスタッフの皆様のおかげで、韓屋村での観光(韓国王朝の歴史を肌で感じた)や、美味しいクッパやプルコギを味わうことができた。

    14時、リムジンバスで仁川へ、韓国でお世話になった、2泊3日で本当に友達のように楽しく会話していただけるまでになった皆様との名残惜しい別れ…… 21時10分、仁川を出発し、22じ40分、関空へ、無事に帰国。 23時頃、入国手続きを終え、帰りの列車が無かったことと、翌7月1日に近畿協会員(岩下、桂田、角本)は姫路でのロービジョンイベントでブラインドテニスを紹介する予定があったため、関空近くの宿で宿泊した。
    なお、蛇足ではあるが、7月1日の姫路でのロービジョンイベントには、荒木氏にもご協力いただき、多くのお客様に、ブラインドテニスの楽しさをお伝えすることができたことを、付け加えておく。

  3. 韓国ブラインドテニス大会への参加を終えて 末筆ではありますが、日本ブラインドテニス連盟会長として、今回韓国大会への参加を無事に終えられたことに、心より感謝申し上げます。

    まずは、日本から応援くださった皆様、今回の資金の大部分となりましたピンバッジをお買い求めくださいました皆様、ご寄付くださいました生島様、日頃よりブラインドテニス活動をご支援くださいます皆様、今までブラインドテニス海外普及へのご支援をくださいましたNEC社会貢献室の秋山様、海外普及の一歩を踏み出してくださいました松居様、それから!武井実良会長に、その他ブラインドテニス誕生と発展にお力添えくださいました多くの皆様に、心から、深く、深く、感謝申し上げます。

    皆様のおかげで、現在のブラインドテニスの姿があります。これは、間違いのないことです! 「本当に、ありがとうございます!」 皆様のお気持ちに答え、益々ブラインドテニスを発展させられるよう、私もできる限りの尽力をいたします。 今後共、どうぞよろしくお願いいたします。

    次に、私たち選手団を暖かくお迎えくださいました、韓国ブラインドテニス連盟の皆様、私たちの行動に目を配り、事細かに通訳くださいました皆様、金教成副会長様、パワフルなプレイを披露し、また、日本選手とプレイしてくださった皆様、本当にありがとうございました! 日本で生まれた、このブラインドテニスを、今後世界に広げるには、韓国ブラインドテニス連盟の皆様、徐州市特殊教育中心の皆様のお力添えが不可欠です。
    共に、ブラインドテニスの楽しさを、世界に伝えて行きましょう! 私たち日本ブラインドテニス連盟は、世界の舞台で、韓国・中国の皆様とプレイできる日を実現するために、今後も努力を続けます! 「またお会いしましょう!、カムサハムニダ」

2012年7月6日
日本ブラインドテニス連盟
会長 桂田 元太郎
(確認:荒木・岩下・角本)