JAPAN BLIND TENNIS FEDERATION

競技について

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視覚障がい者のスポーツというと、卓球も野球もバレーボールもボールを転がすという2次元のものです。
ブラインドテニスは、空中に浮いたボールを打つ、3次元の画期的なスポーツです。

このテニスが生まれたのは、1990年10月21日。
この日は、所沢市にある国立障害者リハビリテーションセンターで、第1回の大会が開かれた日です。
このテニスの誕生について、ご紹介したいと思います。

故 武井実良さん

1984年、埼玉県立盲学校の高校生だった武井実良(みよし)さんは、3次元の球技をやりたいと考えていました。
武井さんは、1歳のときに視力を失ったため視覚の記憶がない全盲です。
転がっているボールではなく空中に浮いているボールを打ちたい、それは小さいころからの夢でした。
「ふつうの人と一緒にスポーツを楽しみたい。」そして、「音が出るボールがあれば、必ず打てる。」と考えていました。

彼は色々と思案していましたが、テニスにしようと決め、一人の体育の先生に相談してみました。
その先生も興味を持ってくれ、放課後体育館で実践を始めました。
最初はおもちゃの野球セットに入っていたプラスチックのボールに小さい金属の粒を数個いれ「カラカラ」と音が出るようにしました。
音の方はいいが弾みがたりない・・・。
適したボール探しが始まりました。

彼は高校卒業後、東京の鍼灸マッサージの専門学校に入りました。
北区にある東京都障害者総合スポーツセンターに金属を入れたプラスチックボールを持って行き、スポーツ指導員に直接自分の3次元スポーツへの夢を語り、実際に自分とやってみてくれるようお願いしました。

最初は半信半疑だったスポーツ指導員も彼の熱意に動かされ、いろいろとアドバイスをしてくれました。
指導員は三宅氏が行っている視覚障がい者向けのテニス講習会を紹介してくれました。
講習会の場で三宅氏は、武井さんに小さいスポンジボールに鈴を入れたボールを紹介してくれました。 (三宅氏は、現在、障害の有無に関わらず、楽しめるスポーツとしてのユニバーサルテニスの普及に努めています。)
武井さんは、そのとき、スポンジで作られたボールがあることを初めて知りました。

スポンジボールというヒントを得た武井さんは、デパートでさらに大きいショートテニス用のスポンジボールを見つけ、半分に切って中をくり抜き、それに音の出るサウンドテーブルテニス(視覚障がい者の卓球)のボールを入れました。
所沢市にある国立障害者リハビリテーションセンターにおいて、本格的な実践が始まりました。
日本の障害者スポーツの第1人者である体育担当の先生のイニシアティブのもと、障害者スポーツ関係者や視覚障がいのある入所生の協力を得て、これまでの常識を塗り替える、未知のスポーツの誕生に向け動き出したのです。

ボールはやはりスポンジボールと決まりました。
その中に入れる音源は、武井さんのアイデアである盲人卓球の球が採用されました。
音が一点に集約して聞きやすく、何よりも視覚障がい者、誰もが小さいころから慣れ親しんできたものであったということも決め手となりました。
そして、武井さんが子供のころから夢見てきたことが、ついに実現する日がやってきました。

第13回西日本ブラインドテニス大会での、武井選手のサーブ写真

1990年10月、国立身体障害者リハビリテーションセンターを会場に、第1回視覚ハンディキャップテニス大会が開かれたのです。
そのコートには夢を実現し、新スポーツの可能性に胸ふくらませる武井さんの姿がありました。

現在、競技者は、ジュニアも含めて300人を越えています。
将来は、全国普及、そして海外にも紹介し、パラリンピック種目にしていくことが、私たちの大きな目標です。

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